「死ぬことと見付けたり」の意味とは
「武士道といふは、死ぬことと見付けたり」、これは葉隠の最も有名な冒頭であるが、以下のように続きます。
「人間一生誠にわづかのことなり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、好かぬことばかりして苦をみて暮らすは愚かなることなり。この事は、悪しく聞いては害になる事故(ことゆえ)、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。」
要は、「どうせ死んでしまうのだから、好きな事して暮らしましょう。いやなことして苦労するのは馬鹿げてます。このことは誤解されがちな考えなので、若い人にはならなか語られませんよ。」ということです。「どうせ死ぬのだから好きに生きよ。」という単純な快楽思想ではなく、“死を覚悟したときに初めて、人は自由に生きられる”という逆説がここにあります。スティーブ・ジョブスのスピーチで語られた「今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当にやりたいことか?」という思想と非常によく似ています。「常住死身の切羽詰まった状態であれば、好きなことをするし、そこから自由を得る」と三島由紀夫は解説しています。
ストイシズムと自由さという、相反するものが混在した「葉隠」の矛盾を、三島が紐解いていくというのが本書です。三島自身が、山本常朝の葉隠を「ただ一冊の本」と心酔し、数十年近くも飽きずに定読していたとも言われています。
構成としては、「一、現代に生きる葉隠」で、戦後20年時点での三島の時代背景と葉隠思想の解説。「二、『葉隠』四十八の精髄」で、原書に対する翻訳的三島の解説。「三、『葉隠』の読み方」に続き、「『葉隠』名言抄」で、ほぼ近代ビジネス書の様相の構成となってます。
一方、人間のエネルギーを最大限発揮するための哲学的思想なども触れており、自己啓発書やビジネス書のような視点もあります。「忠告は無料である。人は金を貸すのは惜しむが、無料の忠告は湯水のごとくそそいで惜しまない。しかも、忠告が社会生活の潤滑油になることはなく、人の面目をつぶし、気力を祖喪させ、恨みを買うのが十中八九」という常朝の考えは見事であり、また、常朝の「翌日のことは、前晩よりそれぞれ案じ~」という常朝の考えから、三島自身は、「あくる日の予定を、前晩に細かくチェックし、必要な書類、伝言、電話連絡などの予定を前晩に書き抜いて、当日は、心をわずらわせないように、スムーズに仕事が進むようにしていた」というが、これは現代のGTD(Getting Things Done)と同じ思想であり、300年以上前の武士が、現代の生産性向上メソッドと同じことを実践していたという事実は、葉隠が、“精神論の書”でなはく、“行動の書”であると同時に、徹底して情緒的でもあります。三島はこの合理と情緒の同居こそが、日本精神の本質と見抜いたのかもしれません。
三島の解説にもありますが、葉隠は、江戸時代という封建的で儒教的な倹約道徳の束縛から、自由で寛大な立場を重んじたのかもしれません。
ここに紹介した節は、全体の数十分にも満たないほんの一部です。葉隠の数々の教訓に対し、天才三島がギリシャ、スパルタ哲学、宗教、昭和42年当時に日本に蔓延していた思想などをもとに話を広げてきます。思想書はもとより、解説書としても面白く興味深いので、一読してみても良いかもしれません。
葉隠は、ひとつの当時の自己制御法であり、その要因となる武士道的思想はどうなっているのか?とうことですが、三島の解説により全時代にも通じる内容になっています。300年前の武士も、現代人である私たちも、根本にある悩み、欲求は大きく変わっていません。葉隠は戦前に軍国主義に利用された歴史があり、三島はその危険性を理解した上で、個人の自由のための思想と読み替えたのかもしれません。

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